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何も知らぬまま おはようからおやすみまでを過ごす“こちら側”の、
横だか裏だか頭上だか。
三次元の存在による人知では移動が不可能とされている4つ目の次界軸、
時間の軸が僅かほどズレているという説が一番有力な、
世にいう“パラレル”な、お隣の世界があるそうで。
そんな向こうの世界のうちの一つ、
この場に居合わせる敦や中也とその顔馴染みの大半が
男女反転しているらしいというヨコハマから。
どういう弾みか、越えられないはずの障壁飛び越えて、
ポートマフィアの黒き羅刹、芥川龍之介♀が迷い込んできてしまっており。
一つ世界に一つしかいないはずの思惟持つ存在が
他所から無理からやって来たことへの これも“ホメオスタシス”反応というものか、
きっちりと詰まっていた次界空間に無理から割り込んだことで生じる圧迫に押され、
こちらの世界の同一存在が弾き出される仕組みになっているようで。
『向こうの手前が此処にいるってことは、
こっちの芥川が向こうへ飛ばされてるってことだろうからな。』
嬉しかないが もはや慣れたもの、
そういう判断も素早く浮かんだポートマフィアの大幹部殿は、
『今、自分がいるのは別な世界だと気が付いたのは何時なんだ?芥川。』
『……。』
『もしかして、あの青鯖と一緒に居た時なんじゃあないのか?』
『……っ。』
ポジションは同じでも、彼女にすればこちらの彼は 自分が知る太宰とは別人な太宰。
それでも異能は同じだ、事情だって通じていようし、
もしかして先の騒動で飛ばされたのが“此処”ではなかったのだとしても、
あの 頭の回転が悪魔レベルで素早い男ならあっさり事態を察してくれよう。
だのに、何故頼らぬと問い詰める、
中也の睨んだ推論に即答で否定はしなかった彼女であることが、
何よりの答えではなかろうか。
たじろぎつつももはや言い逃れは適わぬと察したか、
此処へ訪れる直前、何処で何があったのかを
ぽつぽつと語り始めた黒の姫御。
禍狗姫には“地元”にあたる、皆が女性というヨコハマで、
前日からの伝言で太宰に誘われていたため、
彼女のセーフハウスに足を運んでいた芥川だというのを聞いて。
「こっちの太宰もそういう足場は持ってるんだろうな。」
中也が忌々しいと眉をしかめる。
二人きりの場で仕掛けたこと、
なので邪魔も入らず、間合いも自然に、
彼の立てた筋書き通りにコトが運びもしたのだろう。
そして
何かしらの違和感が去ってのち、
同じ場に居た太宰が紛れもなく異性になっていて。
「風貌も雰囲気もそれは似ておりましたが、
それでも体格や何やに歴然とした男女差が出ておりましたし。」
女性である向こうの太宰も、
いざというときの真摯な態度はそれは凛々しくて。
敵へと向かい、悠然と立って迎え撃つ才気あふるる横顔は、
同性であれ胸をきゅうんと鷲掴みにされよう頼もしさだとか。
それでもやはり、男性が醸す精悍さは次元が異なるというもので。
自分の目の前で入れ替わったことになる、
異界から来た格好の芥川を見守っていたこちらの太宰は、
今にして思えば随分と落ち着き払っていたらしく。
それでもしっかとした肩や大ぶりな手が何とも頼もしく、
品よく繊細そうな風貌ではあれ、
一目で男性だと判ろう清冽な雄々しさ精悍さをまとってもおり。
極めて似てはいるけれど、直前まで向かい合っていたはずの“太宰”ではないと、
黒狗姫には すぐさま判ったほどの差異だったとか。
“だよねぇ。
太宰さんって、喋らなきゃあ ちゃんと男らしい人でもあるし。”
こらこら敦くん。(笑)
そんな奇天烈な現状へ驚きつつも、
そこは 速やかな現状把握と臨機応変が生命線に直結している
マフィアの実働部隊の長でもあって。
何が起きたのかを ざっと浚ったその末に、
自分なりに辿り着いた答えへ呆然としつつも、
あまりに落ち着き払っていた太宰だったことへと、
危機察知&回避の反射が働いたか、とりあえず逃げてきたという黒姫嬢で。
「そんなこったろうな。」
「……。」
こんなとんでもない事象の渦中にあって、
なのに、異能においてはエキスパートで頼もしかろう太宰を 頼らないのではなく、
もしかして
太宰が何か仕組んでのこの流れなのではないかと直感で感じたから
共に居てはいけないのではととりあえず逃げてきた彼女だったという順番らしく。
しかも、そうだろうというの、中也もまた推測してはいたようで。
「中也さん、凄い。」
「なに。こいつの彼奴への忠心から考えりゃあ分かるこった。」
はあと短く息をつき、
「単純にこっちの世界へ飛ばされたってだけ、
そんな失態をあいつに知られたくはなかったからって順番なら敦の前にも現れない。
身を隠したいのだと話を刷り合わせておいたとしても、
あいつなら敦の態度から何かしら嗅ぎ付けてしまうからな。」
あくまでも相手の過敏さを持ってきた慎重な言いようだったが、
「否定できません、はい。」
自分なんかの隠匿演技に、そう簡単に誤魔化される太宰じゃあないと、
しょぼんと肩を落としてしまう虎の少年であり。(おいおい)
いやいやそこまで卑下するなと、中也が宥め半分ちょっぴり眉を下げたのもご愛嬌。
それはともかくとして、
「居場所が要ると頼るなら、そうさな、だが俺ってのもねぇな。
あいつと関係の薄い、樋口や銀を経由して広津さんってとこだろう。」
「そこまで周到ではありませぬ。」
「どうだかな。臨機応変を迫られる遊撃隊の頭だ、そのくらいの機転は利くだろうよ。」
同じことが展開している次界同士だ、
手前も俺らの知る芥川と同じほど大した奴に違いない。
過小評価するんじゃねぇと、宥めるように和んだ眼差しを向けての、だが、
「そういう流れだってんなら、
こっちの芥川がいねぇのも、奴には当然織り込み済みだろう。」
かつての手酷い接し方にも彼なりの護り方だったという理由があったほどに、
ああまで大切にしている愛しい子なのにと思うと、
敦がまさかと感じたように ちょいと飲み込みがたいものもなくはないが。
現実こうなのだから、
あの強かに狡知な奴の企みを、事情があるのではとフォローする云われはない。
むしろ翻弄されているこの少女への同情の方が強まるというもので。
「で? 何かされたのか?」
例え別世界の存在とはいえ、太宰は太宰だ、
此処までの反証には抵触するが、頼りにこそすれ、いきなり毛嫌いする相手となるものか。
もしかして以前とは違う別な次元へ跳躍したのかも知れぬと恐れたか?
だったら事情が通じないかもと?
いやいや、こうして敦を訪ねてきたほどだから、
そこへの手ごたえもアリの、不安はなかったに違いない。
異性だからなんだ、事情に通じてもいよう相手なのだから、
何やら不可思議なことに見舞われたこと訴えて、
異能のせいかもしれぬと睨み、一緒に対処にあたればいいものを。
速攻でこの人こそが怪しいと感じた何かが相当に堪えたからこそ、
身を護らんと脱兎のごとくに逃げ出したのだろうと想定されるも自明の理。
「異性の手前をわざわざ何かしらややこしい策を構えて呼び寄せたからには…。」
細い顎に手を添えて、うぅむと考え込みかけた中也の声が消えぬうち、
「失敬だな、相変わらず。」
「……っ!」
噂をすれば影が差すというの、まさに呼び寄せてしまったものか。
何の気配も物音もないまま、いつの間にやらドアを通過し、
畳敷きの間へ上がり込んでた、話題のお人、太宰がいる。
ええっ?と薄い肩を跳ね上げて驚いたそのまま、
自分の隣へ腰を下ろす美丈夫さんへ
これでもかと双眸かっぴらいて凝視を向ける敦に気づくと、
長い睫毛をけぶらせるよにして目許をたわめ、
ふんわり笑ってほら落ち着いてと頼もしい手を伸べ、肩を軽く叩いてやりつつ、
「裏の裏の裏くらいはかいての此処での相談なのかもしれないけど、
足場の有力候補だし、空ぶっても大してロスはないから 一応は覗くさ。」
「あ…。」
随分と省略された言いようだが、
何でこうまでダイレクトに此処へ現れたのかの裏書を告げた太宰であり。
そして…敦にも意外だったのは、
話の流れで此処へひとまず落ち着いたと思っていたが、
そんな言われようへ“ちっ”と忌々しげに舌打ちした辺り、
中也としてはご指摘通りのそういう心づもりもあったらしい。
「ああまで派手に逃げ出されたのはちょっと衝撃で、
追わなきゃと気持ちを立ち上げるのに間が掛かってしまったが、
この子自身へ何か企んじゃあいない。そんなことするものか。」
「どうだかな。
前もって説明してねぇって時点で既に、
こいつの気持ちってもんを翻弄してんじゃねぇかよ。」
切りつけるような眼差しを向ける中也にならったわけじゃあないが、
そうだ、自分に会いにとやって来たこの人は あの芥川じゃあないと、
遅ればせながら気が付いた敦もまた、
その身を斜に構えるとせめてもの楯になろうと太宰へ向き直る。
そうさせたのは彼女が…きっとらしくはない素振りなのだろうに、
それでも怖さを感じてか、そおとすがるよに敦の二の腕へ掴まって来たからでもあって。
向こうの次界でではあれ、押しも押されぬ遊撃部隊の長、
怖いものなどそうはないが、太宰は別枠の存在、
いやさ、太宰には逆らえぬという絶対前提があるための、無意識下での怯えに違いなく
……と思っておれば、
「…私だから怖いんじゃあない。
キミの信奉する “太宰さん”ではないから、
だというのに、ただの男衆ながら何かと通じてそうな、
得体の知れない存在だから。
ただ振り払うよな あしらいも出来ずで混乱しているのだろう?」
「え?」 × 2
自分が構えたことだからか、それとも、
それほどに この愛し子の心情まで把握できる身なればこその言であるものか。
「こうなる段取りをしたのは確かに私だ。
向こうの、キミの“太宰さん”も同じ目論見を構えたからこその、
その流れあってのこの現状に、ちょっとパニくったのだろう?」
「あ…。」
そうと説かれて、何か思い当たったものか、
今はただの可憐な少女と化した芥川が、その潤みの強い双眸を大きく見張ってしまう。
携帯端末のコールに、出たら?と促された声。
いたずら電話のように何も、吐息しか聞こえなかった通話へ
何だろうと怪訝そうに顔を上げた自分の視野に入った姉様は、
エチケットとして聞かぬ振りなぞしないで、むしろ じいとこっちを凝視していた。
いつもの包み込むような温みはそのままに、
だが、何かを待つように、何かを見届けるかのように真摯な表情で。
それからのこの流れであり、だから、
此処が異世界だと気づいたと同時、
表情がさして変わらぬ、
むしろ落ち着いてと説きたいような眼をしていたこちらの太宰に、
この流れも彼には想定内のことだと察した。
そして、何も話してくれてはなかったところに
何か謀られたのだと感じ、
このお人の“権謀術数”の底知れなさを思い出し、
もはや反射的な行動、脱兎のごとく逃げ出したのであり。
「私が策を敷いて召喚したものかと警戒して逃げ出した。
でも、二つの世界の理屈を思い出し、
キミの知る“太宰さん”もまた 加担した側なのだと薄々気が付いて、
そんな風に心細くなった。そうだね?」
そう、此処への跳躍の段取りというものも、
双方が並行世界同士である以上、
片方の太宰だけが構えたわけではないのだということになる。
さすがに示し合わせや打ち合わせがあったとは思えないものの、
同じ所以からこんなことを仕組み、
それを実行したからこそ、男女二人いる芥川がその居場所を入れ替えられたのであり。
「偉そうに言ってんじゃねぇよ。」
他人の思惑を解析したよに言ってるが、
手前もまた、あっちへ飛ばされた芥川を陥れたんだろうがよと。
こういう事態になると、俄然、あの青年の父のようなモードが立ち上がるらしい中也が息巻く。
人の気も知らないで、いくら日頃から従順な相手であれ、
こんな壮大な自分勝手を相談もせぬまま仕掛ける奴があるかと。
「俺が無体をやらかしたときは、
そうそう理屈通りに運ぶとは限らないと烈火のごとく怒ったくせによ。」
拙作「さてもお立合い」で、時空跳躍の異能を掛けられかけた太宰とすり替わり、
身代わり同然に異界への旅を買って出た折のことを持ち出す中也だが、
そうかぁ、やっぱりあっちの太宰さんにこっぴどく怒られたのか、貴方も。
喧嘩相手の自分へでさえ、ああまでの怒り心頭ぶりを見せたくせに、
「芥川が戻って来れないところへ飛ばされたらと、少しでも案じはしなかったのかよ。」
「無事に戻ってきた君がそれを言うかい?」
「…だからっ。」
ああもう面倒くさい野郎だぜと、
この期に及んで揚げ足取る余裕を挟む相手へ、尖りに尖らせたしかめっ面を突き付けて、
「俺なんざがどうなろうと知ったこっちゃなかろうが、
芥川は別格なんじゃあねぇのかよっ。」
自分では言えねぇなら、代わりに言葉にしてやんぞ、
このっくらいは吝かじゃねぇわと、
こんな折でも男前の赤毛の幹部様が怒鳴りつける。
勢い余ってどんと叩いた卓袱台が みしっと嫌な音を立てたことへ、
誰も注意を逸らさなんだほどには、それは迫真の怒声であったようであり。
「中也さん…。」
敦少年が思わず “カッコいいvv”と惚れ直し、
黒の姫女も、自分を庇ってくれたのだと感に堪えない様子で唇震わせておいで。
それへと、ちょっと黙っててとか、キミには関係無いと突っぱねるでなく、
困ったなぁとしょっぱそうな苦笑と共に眉を下げて見せた、
今のところ諸悪の根源、太宰治さんはと言えば、
「確かに、私も…向こうのミス太宰も、
キミからの信用を失いかねない所業をやらかしたには違いないのだけれど。」
ほりほりと人差し指で頬を掻きつつ、
全員がこちらに立ち向かう姿勢にある場の中で、
それでも臆することなく紡いだのが、
「中也、キミには届いてないのかな、芥川くんへの見合いの話。」
「は?」
何ですて?
to be continued.(18.09.04.〜)
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*結構シリアスな話だったように思ったでしょ?
日頃かわいがっている敦くんは言うに及ばず、
時と場合によっちゃあ、愛し子の芥川くんだとて鬼の決意で遠ざけるよな、
何かそういう理由があっての暴挙…が明かされようとしていたはずが。
もうちょっと続きますね?(こらー)

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